猫と、仕事

猫が薬と一緒に色々吐いてしまった。血尿もひどいので、今日も病院に連れて行くことにした。捕まえられるか今から不安だが、このまま徹夜だと気持ちが落ち込みすぎるので少し寝る。病院に行ったら、投薬がうまくできないことを相談しようと思う。猫がしんどいと私もしんどい。早く治って欲しい。


私の生業は個人で請け負っている報酬制の仕事なので、〆切がマメにある。猫のことであまり落ち着かない日々の中、ウマが合わないというか、少し面倒な性分だと感じている取引先とのやりとりにイライラしてしまった。

最終締め切りには間に合わせると言っているのに、中間の〆切が遅れていることにブツクサ言われる。最終〆切に間に合えばいいと言って依頼してきたのはそちらではないのか。謝るのもめんどくさくなって、喧嘩腰の返信をしてしまったら、社会人としての云々という説教じみた返信がきた。

そもそも納品のスケジュールを確認した上、なぜ致命的な遅れでもないのに説教されなくてはならないのか。間に合えばいいと言ったのはそちらでは?確かに現状遅れているのはこちらだが、イライラしているので返信したくもない。相手の今までの度重なるせっかちかつ自分勝手で不愉快な態度が積もり積もってこちらも腹を立てているからこその買い言葉だったわけだが、関係の修繕のためにと正直に話してもろくなことがあるわけがない(なんせこちらの話をまともに聞かない)ので、余計なことは言わず淡々と仕事をやって送る。

散々に説教めいた脅しが書いてあるメールを読むのは気が滅入るし腹も立つ。丸無視することで、お前の話は聞いてないということを意思表示としようと思う。

仕事の報酬はいつも良いと思うが、取引先の方の言いざまや性格にいつもカチンとくるので、次回は断る。


猫元気になって欲しいな…。

猫と仕事

昨日は猫の投薬のことで塞ぎこんでしまったが、今日はだまし討ち的な投薬が多少はうまくいき、少し気持ちが持ち直してきた。とはいえ、定時に定量を与えられているわけではないため、もう少し頑張らねばならない。

猫の様子はご機嫌や身なり、トイレなど見るに昨日よりも良いように思うが、猫の事はわからないので油断はできない。


それはそうと、猫のいる家と私の仕事場は同じではない。

日中は家族が出払っているため、近所に仕事場を借りている私は猫が気になり、マメに見に行ってしまう。そして、行けば大歓迎してくれる猫の様子を確認し薬の準備や彼が喜ぶことをしている。気づけば1-2時間経っている。猫に時間を割きすぎている気がしている。


今は彼の病気が気がかりなため、時間を割くのは仕方がないと思いたい。私だって病気の時は心細い。1人で過ごすより、近くに大好きな家族がいるほうが安心だろうなどとも考えてしまうし。

しかし、徐々に仕事が押してきている。まだぎゅうぎゅうのスケジュールではないとはいえ、気を抜いていてはいけない。

昼間猫は1人で心細いだろうかなどと考えるのは間違いだろうか。猫を擬人化せず、もっとクールに対応すべきかもしれないと少し悩む


猫に薬

ここ最近、猫のことで悩まされている。

どこかに愚痴りたいと思ったところ、そういえばはてなブログ作ってたなって思い出したのでログインした。日記というには大分飛び飛びだけど、たまにはいいだろう。

 

家族が大人の野良猫を持って帰ってきてそろそろ1年。彼は病気になってしまった。本当によくあるもので、友人たちの飼い猫の10割といっていい子達がかかったものだった。

投薬がうまく出来ない。とにかくうまく出来ない。しんどい。

医者の薦めてくれた方法が何一つうまくいかず、ネットで調べた方法を試してみたところ、ようやく半分飲ませることが出来た。でも半分だ。なんなら昨晩飲ませるべき量の半分。嫌がる彼にあの手この手で試行錯誤した上成功しないせいで、猫もストレスを感じているだろう。しんどい。

私ももう何が一番しんどいのかわからなくなり、めそめそ泣いてしまう始末。猫のことが不安になりすぎて、今日の仕事は半分も進まなかった。

 

家族が彼を持って帰ってきた事情も、その後どうしてうちに居続けているかなども書く気が起きないので割愛するが、半年以上の期間、野良猫にふさわしい警戒心で押入れに立てこもり近寄ってこなかった彼が、ある日を境になついてくれた。

私たち家族は猫を飼ったことがなく、それでも猫の飼育本やネットの情報を頼りにあの手この手で仲良くなれないか画策した。家族の中で一番その点での根気があったのが私だったため、私にだけひどくなついた。もともと持ってきたのは別の者なので軽い嫉妬を買ったり、突然私の責任が重くなったりで、やっちまったかなという気持ちもありつつ、早く仲良くなって病院に連れて行きたかったのでまあいいかという気持ちだった。

それが、今は薬を飲ませることもろくに出来ないでいる。何のために仲良くなったのか。

 

嫌われるのが平気かと問われたら、NOだ。関係が以前に逆戻り、彼がこの家の中で安心できる場所が押入れだけになり怯えた目でコソコソと暮らすのかと思うと不安でしゃあない。(てゆうかそんなに嫌われている状態で病院に連れて行くことを考えると、途方にくれる。今でもこんなに失敗しているのに、出来るビジョンが見えない!)そもそも私がこの猫にたくさん時間を割いてしまったのは、うちに連れてこられて一人で過ごしても暇でつまんないだろう、せめて少しでも楽しく安心できるように遊べるように…と思ってしまったのがきっかけだった。その目的は先日とりあえずは果たされた。

病気がきっかけの初の病院の後、恐ろしい思いをさせたのだから嫌われるのだろうなと思っていたが、帰宅後すぐに寄り添ってくれたことが嬉しかった。

えらかったねと美味しいものでも与えたかったが、食事制限がついたので撫でてやるばかり。そして投薬の失敗。失敗の後、更に失敗。嫌なことを度々してくる我々に対して不信感を抱いているのか、はたまた症状がしんどいのか、あまり近寄ってこなくなる猫。薬が与えられず焦る私。仕方がないので病院で処置をお願いすべくケージに入れようとするも、失敗。あげく洗濯ネットにも入れ損ねる。追い掛け回す我々、失敗する我々、どんどん怯える猫。耐えられなくなってくる私。

 猫飼いの友人たちに、「投薬はどうしているか?」「病院にいくときはどうしているのか?」とそれぞれ質問をし、得た結果は『皆、きちんとやり遂げている』ということだった。私がネットで調べた様々な、私にはうまく出来ない方法で!

正直落ち込んでしまった。いや、ここまでの時点でもう大分まいってしまっていたのだけど、そっか~やっぱみんなちゃんとやれてるんだな~って思ってほんと情けなくなってしまった。私が臆病で思い切りが足りないのが原因なんだろうとわかってはいる。協力者たる家族もいるが、みんなしてうまくいかない。懐かれているのは私なのだから、音頭をとるべきも私で、失敗するのも私が悪い。しんどい。

拾ってきた家族に、指示待ちじゃなくもうちょっと色々考えてくれよ~と言いたい気持ちも正直あるが、でもそんなことはどうでもいいことだ。猫の健康の話だから、元気になって欲しい人間が頑張るべきなのだ。家族も元気になって欲しいだろうが、多分どこか私に委ねてるとこあるんだと思う。懐かれてるのは私だから。

 

半分成功した投薬方法を改良していき、今日一日様子をみようと思う。電話で獣医さんに聞いた感じ、経過はそこまで悪くないとは思う。ただ薬がきちんと飲ませられていないから猫本人はまだまだしんどいだろうと思うとまたしんどい。

猫は話が通じないから難しいな。でもその猫と仲良くなってしまったのは私なのだから、彼の信頼を裏切らないよう、頑張って元気にしてやろうと思う。また涙が出てきた。荒っぽくても、手馴れた猫のあつかいができるように頑張りたい。一時的に嫌な思いをさせても、信頼を回復できる自信を持って頑張りたい。今回のような、緊急性の低い病気ではないこともきっと今後ある。そんな時、さっと彼を助けてあげられる、強い飼い主になりたい。

 

最後に、私のような臆病で気の弱く頭でっかちな人間は、猫をどうやって飼っているのか純粋に気になる。そういう人は生き物を飼う資格がないとか、そういう意地悪な話はなしね。だって現実問題私の家に猫居るし、他にもいるはず。居ないわきゃない。

ネットに入れるのってそんな簡単なの?薬って誰でも最初から口に放り込めるもんなの?ダメな飼い主の体験談を聞きたい。

寝る必要がある

さしたる理由もなく無性に不安でたまらない時は、寝るに限る。


子供の時から感受性が強かった気がするし、思春期の頃からはずっと感情の起伏の激しさと情緒不安定に悩まされている。カウンセリングを受け、時にはメンタルクリニックにも行く。

成人してだいぶ経ち昔よりは感情のコントロールも出来るが、今もしんどい時にはメンタルクリニックに行く。薬は処方されたりされなかったりだ。そんな程度の人生の中で学んだことです。


差し迫った問題がないのに精神の調子が悪いのは、疲労・寝不足・季節の変わり目。他に理由なんかない。そう思うようにしている。

考える前に寝る。つい考えちゃってしょうもない文章をTwitterに垂れ流す暇があったら寝るべきだ。

きちんと寝ても治らないなら病院に行く。理由のない情緒不安定に一人で悩むのは時間と精神力の無駄だと思うんだよ。


ともすれば不安定な精神で、誰にも何の益もないおかしな言動をしようとしてしまうので、睡眠・病院の二つの対策だけを心に留めるようにしている。

考えても解決しないし、家族や友人=素人に相談しても困らせるだけで解決しないもんね。あー不安だなー。寝よう。

恋愛と結婚、女の価値

私は一般的に中年と呼ばれていい年頃の女で、独身だ。結婚願望と言えるレベルの感情はない。また、現在恋人もいない。


世間話として、ダイエットがうまくいかなくなったんですよねーと年上の男性の知人に話したところ、『やっぱり恋愛しかないよ。人のためなら痩せられるよ。』と言われた。

これは確かに一理ある。ダイエットに関して人のためにという感覚は持ったことがないが、好意を寄せている相手によく思われたいがためにしたダイエットは大概成功した。

この知人は以前より私に恋愛の大切さをよく説いており、女性であることを諦めるなと言った趣旨の話もよくしてくる。その度何の感情も湧き上がらず、感想があるとすれば、客観的に見ると女を捨てているように映るんだなと思って少し不愉快だったくらいのものだ。


類は友を呼ぶのか、私の友人は未婚が圧倒的に多い。恋人のいる人、いない人はそれぞれだが、とりあえず独身が殆どだ。

親は私に結婚の話をしない。たまに

、見合いの話があったが断っておいた、と言われるくらいだ。理由は、自分の娘は先方が求める可能性の高いステータスを持っていないと毎度判断するからだ。

最後に、私は在宅仕事のため、日々顔を付き合わせる同僚も取引先もいない。

こういった数々の事情があってか、普段結婚のことを考える機会がないため、この歳までなんの焦りも表立った劣等感もないまま来ている。


焦ったといえば、先日やはり独身OLの幼馴染たち数人から立て続けに、婚活をしていることや新しい恋人を作ったと話されたことだ。この時ばかりはやたらな焦燥感を覚えた。

この焦燥感の内訳を具体的に話すと、その根性醜いことこの上ない。世間から人間として完成していない、女として終わっていると判断されるのが私だけになってしまうかもしれない!というのが一番大きい理由だ。改めて文字にして、自分のこのクソみたいな価値観に打ちひしがれる。


ちなみにこの記事、元々は結婚願望が持てない理由や恋愛に対して消極的なのは何故なのかを考えてみようかと思って書き始めたものですが、まあこのまま続けてみよう。


つらつら書いていて段々思い出してきたが、そもそも20代も半ば以降に能動的に恋愛をした時の動機は殆ど、この幼馴染の婚活報告による焦りとほぼ同じだった。女としての価値を確かめるために行った。

ついでに若い頃の動機は主に、情緒不安定からくる無性な寂しさを埋めるため、というものが多かったように思う。

どちらにしてもしょうもない理由だ。少なくとも、他人を愛する事の喜び云々みたいなものからは程遠い。自己愛オンリーの動機で、醜い性根としか言いようがない。他人は自分のために存在してるんじゃない。


そうだ、こんな自己愛まみれの価値観に疲れて、もう他人をこんなことに付き合わせるのはやめようと思ったのだった。ちょっといいなと思ったくらいで、相手のために自分の何かを犠牲にする覚悟もなく恋人になってもらうなんて、虫が良すぎるよなーみたいな。

ちなみに理由もわからずめちゃくちゃ好きで感情のコントロールすら大変だったくらいの相手とは上手くいった事はない。そりゃそうだよ。最低限、感情のコントロールくらいして欲しいよな!


最後に、自分にとっての恋愛と結婚に対して感じる価値をまとめてみよう。


『恋愛』

たまたま出会った相手を好きだと思ったら、相手に自分を認識させ、好意を持たせるべくやっきになること。それが成功したら、相互理解を深めより良い関係を作るべく努力すること。それはとても楽しく苦しい。

この感覚を思い出すとワクワクするけれど、歳をとって多忙な今、そこまでしたい対象と出会っていないのにわざわざ探す必要があるのだろうか?これは本当に楽しいが、夢中になってしまい情緒が不安定になる傾向が強いため、生活ペースが破壊されるのが怖いしなにかと面倒。


『結婚』

したことがないのでメリットデメリットがわからない。また、想像もつかない。

結婚して初めて一人前と認められるという思い込みは強い。また、子供を産まない女は生物の役割が果たせていないという考えもある。(念のため、これは自分にかけた呪いのようなもので、他人に適用するものではないです。)しかし、伴侶のために今ある生活の全てを犠牲にする覚悟を持てないで結婚すると、相手も自分も不幸になるのではないかという思いが強い。

世間体のためにしておいた方が良さそうだが、他人の人生の責任を取れる自信がないというのが正直なところ。


しない理由、出来ない理由を考えるのは無駄であり、出来る方法を考えるべきだと、先述の知人男性は言っていた。それは全くその通りだが、したいと思わない場合はそれ以前の問題だよな〜。


したくないのとはまた違う、ポジティブな動機が表れず頑張る以前の問題という悩みでした。

将来設計が出来ていない愚かな考えだと思いもするんですが、自分の面倒で精一杯の人間に他人と支え合う資格があると思えないんです。自分の家族が欲しい気持ちはなくもないんですけどね。


書いてて悲しくなってしまった。

今の気持ちのメモとして残そう。

友達に敬語を使うこと

私は現在勤め人ではないため、上司がいない。取引先はあるが、礼儀はあまり重要でない成果主義傾向の業種のため、メールや電話での対応もそこまで気にしたことがない。
以前は接客業だったため、一通りの敬語が使えないこともない。そういえば小学生の時は、親しい友人以外にはずっと敬語で話していたので慣れてはいるような気もする。しかし思えば、正しい敬語をきっちり習ったことはないので正しいかどうかはわからない。研修をきちんとしてもらえるような企業のビジネスピーポーだったことがないので自信はない。
このままだと一般社会への適応に対するコンプレックスの話に移行しそうなので、この辺で本題を書いておく。

友達や、比較的親しい知人なのに敬語で話してしまう相手がいる。知り合った瞬間からほぼタメ口で話してしまう相手もいる反面、何年も付き合いがあるのに敬語が抜けない相手もいる。後者は割合にして少なく、20人に1人いるかいないかくらい。
単純に、その相手を上に置く真理があるからなのだろうと思うが、なぜ上に置くのかがよくわからない。先方が私を下に見ているということもないだろう。年上かどうかは関係ないのは、年下の友人でもなかなか敬語がやめられない時があるのでわかっている。
ちなみに、こうやって書き出すからにはある程度の結論が出ていると思われるかもしれないが、実は全く出ていない。むしろYahoo知恵袋なんかで質問したい気分だ。めんどくさいのでYahoo知恵袋には書かないが。

相手に対するリスペクトなのか、へりくだる気持ちなのか。
対象の友人たちに共通しているのは、博学だったり独自の感性が強いと感じる相手ではある。しかし私の友人達は全体的にこの傾向が強いので、それだけではない気もする。
少なくとも、私が相手を上に置きたい気持ちは非常に強い。この心理をそのうち解明したい。自分でも知らないうちに対人態度を使い分けている事を不思議に思うこともあるし、そこに私にとっての先方とのパワーバランスやらヒエラルキー的な価値観が露骨に現れてるんじゃないかと思うと怖い。無意識の行動はなんでも怖い。

敬語を使う対象の友人知人と対峙する際、自分がものすごく後輩感のある態度をとっていることは知っている。そして質問が多くなるし相手を褒める回数も普段よりだいぶ多い。(ただ、元々人を褒めるタイプではある。)
ちなみに自分がこういった態度を取られるのはわりかし苦手なので、自分が苦手なら人にもすんなよとは思うんだよね。好きな人からやられると、嫌な気持ちにはならないが恐縮する。ついでに、好感持ってない相手にやられたら、搾取されている気分になって不快になる。
なんだこりゃ。一切まとまってないな。時間もないので、まあまたそのうち。

たまに思っていることを書こうかな、と思いついた

人に話すほどでもないけど、意見や感想を述べたいと思うことがあり、たまには文章にしてまとめるのも良いかと思い立った。
Twitterのアカウントはあるが、Twitterは書いたものが一瞬だけ目に止まり、あとは流れて行くだけという意識が強く、あまり推敲などもしないので、スラングまみれで曖昧な表現しか出来なくなっている気もしなくもない。
Twitter等のSNSサイト上での私は公開の場で強い主義主張をしないようにしている。個人の感情やモラルからくる主義主張をし、その個人的かつ一般性や整合性があるかもわからない意見に対し、不特定多数の人各々の考えで肯定反論された場合、きちんと反応する自信がないからだ。要するに臆病だからだ。自分の意見に自信を持っている時でも論点をずらされると返答に困るし、感覚を言葉にしただけの時などにつっこまれたらもうどうしていいかわからない。ついでに言うと頭に血が上りやすい性質でもある。
そんなわけで、せめて世界に主張することない意見を、自分の中だけでも言語化していこうかと思った次第です。
そして、それを目に見えない第三者に怯えず行うには、個人情報とは結びつかない匿名の状態で公開するのが、リスクが少ない方法かと考えた。どんだけ炎上怖いんだよって感じですね。いや怖いよね〜。特に、他人の悪意や怒りに晒されるってめっちゃ怖い。生活に支障が出るレベル。とはいえ、自分ちのノートに書くわけでなくwwwで公開するのは、誰かに読んで欲しいという気持ちもあるからだろう。人の気持ちは複雑だね。
人に見せるという意識がないと、Twitterと同じかそれ以上に適当な文章しが書かないというのもある。それでは意味がないからね。

また常日頃から、私にとって役に立った事を記事として残しておきたいという気持ちもある。そういうのも書いてもいいかと思う。
ただ、ライフハック的な話をするなら、普段の自分の情報と結びつけて公開するのが有用かとも思うし、その場合完璧な匿名性は無くなるだろう。

どう使おうか、しばらく思案することにする。もう書かないかもしれないね。