言うとこないから書くだけだけど

一昨年末、猫が病気なのに捕まえられなさすぎて通院できずに毎日泣いて暮らしてた時期、このブログに辛い気持ちを書きなぐっていた。今、その猫は私にひっついてグースカ寝ている。泌尿周りに未だ難ありであるが、数値的には至って健康体。月々5000円のエサを食べ、たまにまたたびをもらって暮らしている。本当に良かった。

ちなみになんとか病気が治って半年後、脱走して野良猫生活をしてしまい病気再発。その頃も深夜の捜索が治安的な意味でつらくてしんどかったが、元野良なおかげか毎日安否確認出来た上に平和的に捕獲できたんで泣き言を書きに来ることはなかった。

今は多分、前よりいろんなことにならさせることができ、付き合いやすくなった気がしてる。猫は難しい生き物だけど、一緒に居られることがとても嬉しい。


んでさ、何が吐き出したかったかっていうと、ペット捨てる人の気持ちがわからなすぎて混乱の極みだったので書きにきたんだよね。やむを得ない事情があることもあると思うが、例え捨てねば自分が生きられないという状況だったとしても、対策の間も無いことってあるのかな。出かけてる間に勝手に捨てられちゃうとかだったら地獄すぎだけど、その場合はそんなことをする人の気持ちがわからなすぎてまた混乱する。生き物ってそんな感じで扱えるものかな。

猫ブームで、犬猫共に捨てられる個体が増えるとか、悪質ブリーダーや引き取り屋とかいう商売の話も、恐ろしくて途方も無い気持ちになる。

言ってもしゃあないんだけどさ、どんな成り立ちでそういう考えに至りその行動を起こすのか、わからなすぎて知りたくなってしまう。知ったところで納得できるわけではないかもだけど、どういう考え方からそうなるのか合点が行く説明を探してしまいますね。わからないことに、自分の価値観によった落とし所を求めるのは、よくない癖だろうなとは思う。不寛容と無理解、独善的な正義感からくる優越感と差別意識につながる傲慢な欲求な気はする。

でも、本当にわからないんだよね。どんな理由があったとしても、自分だけを頼りにして生きている生き物の全てを放り投げる選択をしたら、その後も罪悪感すごくてまともに生活できないと思うんだよ…。しかも、自分だけを頼りにしてる生き物のいうその子の状況を作ったのは自分なんだよ。家族が勝手に拾ってきた…とかでも、その子がその後不幸になる未来しか見えない選択肢を選ぶことは出来ないと思うんだよね。

いや、ほんと言ってもしょうがなすぎるんだけど、なんか怖くてさ。理解出来なさすぎると、何かの拍子にその価値観の存在する世界に触れた時に対処が出来ない気がして。