決意表明覚書

眠いのできちんとかけるかはわからないが、優柔不断で押しに弱い性格の私がもっと効率よく建設的な生活を送れるようになるための決意表明、そのためのメモだ。

 

自分本位になる。自分勝手でもいい。

母親にはいつも、自己中だ自分勝手だわがままだと言われているし、自分でも自分勝手で協調性がなく他人に対して薄情だと思っている。

しかしこれは自罰的な自己評価と、幼稚で内弁慶的『家族』に対する対応という、極めてプライベートな場面での評価だということにしておいた方がいいと思っている。何故なら、こうやって自分を低く置くことによって、私は他人の評価を誤る場合があるからだ。世の中の大半の人は私より立派=社会に適応しているはずだ、従って私が悪いのかもしれない。こういった傾向の思考に陥ることにより、例えば他人に責められた際、それがたとえ不当であったとしても受け入れてしまい、無用な罪悪感を持たされ、利用されることがあるからだ。

あんま汎用性のある言い方になってないけど、まあいい。今は特定の事象を思い浮かべて書いてるし、何より眠い。

 

こちらの事情を汲んでくれない人間の事情を汲んでやる必要はない。

他人の心の問題にやたら同情的になりやすいのも問題だ。これは私が相手の心身問わず事情を汲んでやりたいという気持ちが強すぎるからだ。もちろん自分の事情を汲んでほしいという気持ちの裏返しではあるが、他人は必ずしもお返しをしてくれないのだ。

 

自分の人生の責任を取るのは自分だけ。

これは私の信条としていることだが、忘れてしまう場面が多々あった。っつーか、今話してる理由となってる特定の問題については特に忘れてしまいがち。私の人生のリソースを食い潰す人間が、私の人生の面倒を見てくれるわけがない。従って、相手の人生が例え私由来で一時的に揺らいだとしても知ったこっちゃないの精神でいこう!

 

どんなに哀れを誘う、罪悪感を煽られる責められ方をしても、気を強く持とう。

私は、私の言動や選択によって相手が不利益を被る、例え不可抗力であったとしても他人の予定を変えさせる羽目になる、それによって精神的物理的な被害を被らせるなど、そういったことが起きた場合にとても下手に出てしまう。その後の賠償要求が不当なものであると感じたとしても、元は私が悪いので…となって、ある程度飲もうとしてしまう。これがいけない。

例え原因が私にあったとしても、償おうとしすぎてはいけない。ダメ絶対。この発想が私を泥沼に引き込むのだから。

 

私に関わったことを後悔しろ、という発想。

まともであろう、誠実であろう、迷惑をかけたとしたら、その償いをしよう。こういった気持ちに付け入られることはある。相手を見てやらねばならん。私を許してくれる、私に寄り添ってくれる人にだけそうしないといけない。それによって要求がエスカレートする相手もいる。私が悪いからといってそこに付け入られるな。私に関わったお前が不運だったな!って位の気持ちで、知るかボケって言えるようになろう。いや言わなくていいけど、心の中で常に言っていこう。お前の要求は飲まない、思い通りにならない、お前の人生の責任も取らない、何故なら私を選んだお前が悪いのだから!

 

自分の事情を優先しよう。

相手の気持ちを優先してはならない。いや、基本私の人付き合いにおける物事の判断基準はそれなのだが、最優先しなくてはならないのは本当は自分の事情のはずだ。相手に合わせようとしすぎる人が不快な人もいるってのもまああるんだけど、私のこの判断基準、やっぱり私のことも考えてくれる、譲り合いの精神がある人にしか通用しないわけよ。だめなんだよねこれ〜。

んでさらに何がダメかっていうと、私は私のポリシーを貫きたいばかりに、相手が自分と同じ譲り合いの精神がない人間でも対応を変えないんだよね。これがすげーダメ。バカすぎ。譲らない人間に譲ったら獲られるだろ、しっかりしろよ。

話ずれるけど、この一連の話を母に話したんだよね。そしたら意外な答えが返ってきた。てっきり「あんたは気が弱いし人に嫌われるのがいやだからそんな気弱な対応するんだ、バカめ」的な返答があるかと思いきや、

「そういうとこ私とあんた似てるんだよね。ほら、私いつも『誰にも後ろ指指されないよう、胸張ってられるようにどんな場合でも筋を通すんだ』って言うでしょ」

これには驚いた。ほんとだ、私の母いつもこれで損してる。搾取されてもポリシー守ってる。すごい似てる。びっくり。でもこれはダメ!損しちゃダメ。あと私の方が母より心が弱いから真似しちゃダメ。

 

自分のために自分の時間を使おう。

例え事情が何であれ、過度に他人のためにリソース割いたらいけない。私はもう若くないのに、時間は有限なのに、他人がごねてるのに付き合って時間や精神力を削られてる場合じゃない。ほんと勿体無い。私の時間は私のためにあるし、そのぶん働いたらしたらどんだけ有益かっつーか仕事がこのせいで押す。これがだいぶクソ。おかしいだろそれ。切り捨てろ!

 

自分を停滞させる人間と付き合わない。

前向いて進みたい。建設的なことがしたい。楽しいことして、やりたいことやりたい。法に触れてなきゃ、制限される必要はない。他人に制約かけるような人はそれ自体がおかしい。前向きでない約束はするもんじゃない。その人間関係に足引っ張られてるかどうかを意識しないとなって思った。絡みつく人を相手にしないことだ。

 

憎まれる覚悟、自分に非を作っても断ち切る覚悟。

公平性とかフェアとか忘れよう。知らん。嫌われたり責められたりすることに慣れよう。きっと相手を想いやろうとする(できてるかは知らない)ところが自分の美徳であり、こうあることで私は胸を張れるのだけど、でもそこに価値を見出さない人もいる。そう言う相手にそれやっても無意味だと知れ。ひどい?私が?だから何?って言える人になろう。無責任上等。いやほんとはダメだなって今も思うけど、この人は私に不利益だと思ったら、情とか義理とか忘れても断ち切る覚悟を持たないとこっちが潰れる。

 

こんなもんかな?重複したことをたくさん書いたけど、自分のためにこれを反芻していこう。息苦しいのはもうやだからね。もっと自由に、元気にいきたい。