続けてきてよかった
なんとなく
twitterで愚痴るのも出来ないし、家族に話すのも出来ないし、そこまで辛くないはずのことだけど。
身内が不祥事を起こしたんだよね。内容は伏せるけど、被害者がいること。表向きはおおごとにならず、内々で処理され加害者である身内は内々に処分された。
んで、内容は身内は親にも友達にも言えないってことで、本人が1人で抱えるにするには重すぎるということで話を聞かされたわけ。それが数ヶ月前のこと。
私はなんでも友達に話してしまう。家族の恥でもなんでも、相手と利害関係がない場合は。しかしこの身内の話だけはどうしても出来ない。正直、私自身その不祥事に大きく傷ついたから。
あのね、そんなことするとは思ってなかった…というほどその人を信用はしてなかった。かといって、そこまで愚かだとは流石に思ってなかった。そういう感じ。だからその不祥事についての告白を聞いた時、想像しうる一番最悪の事態の一歩手前だと思って大きなショックを受けた。
身内はその時非常に動揺していて、しかしそれは犯した罪についての反省というより、軽い気持ちでやったことが取り返しのつかないことに発展し、それにより後悔した故の動揺と混乱、懺悔だったのだと今も思う。
私にとってその人は大事な人の1人だったし、今でもそれなりに大事な人だ。だから、反省して前に進むのなら応援したいと思っているんだよ。たださ、上記のように、その物事そのものについて深刻に捉えているのかわからないことがとてもとても辛い。
私はその告白を受けた時、その人のやった行為そのものによく向き合って、そして反省して欲しかったの。それさえしてくれればその他のことは応援するつもりだったし、実際したんだよね。
私以外に身内の犯した罪の詳細を知っている人は、被害者と、罪を発見した人、報告を受けた責任者と弁護士。みんな今の身内、そして私とは関わりのないところにいる人たち。
私は身内が心から更生したかどうか、再犯しないかは私だけが心配するんだと思うと正直いたたまれない。
わたしには性格の癖がある。ずっと付き合ってるクソみたいな悪い癖。これがあるからわたしの人生頻繁に躓くし、余計に金かかるし人に迷惑もかける。反省して改めようとして、でも少し良くなったと思ったらすぐまた顔を出す。
身内のやったことは、身内の悪い性格の癖からきていると断言できる。だから多分この人は一生この悪癖と向き合って戦うことになると、わたしは思う。そしてこの人がその悪癖からすぐに目をそらしてしまっているとも思う。何故なら長年この人を見てきて、これこそが悪癖の1つだと思うからだ。
罪が公に裁かれないことは多分良くある。
身内が公に裁かれなかったことは、身内にも私にもきっと幸だったと思う。しかしそれによって、本人が自らのしたことと十分に向き合わなかったことが見てとれる。非常にしんどい。
私が言い続けることも出来るが、この人の親も含め他の人と情報を共有することができない故に、『私が黙っていれば現状は平和である』という状況でもある。そして、表面的にはわからないが、内心深く反省している可能性もないとは言えないのだ…。
まあ、私への態度でそうではないと判断できる感じなんで苦しんでるんだけどねー。喉元過ぎればなんとやらを地でいってる態度だもんね。本当に苦しんで反省してたらそんな冗談でてこねーよしんでしまえって感じ。
とりとめもない内容だけど、これは愚痴の日記なんだ。ただほんとにしんどいから書いたんだ。読み返さないと思うしね。
これからきっとずっと、身内が犯した不祥事に近い事件を目にするたび、身内の置かれた立場や被害者に近い立場の人を見るたび、その都度思い出してはしんどくなるんだ。そんでこのことを知らない人が無邪気に身内の話をするたびに変な顔して耐えなきゃならないんだ。
お前の作った状況はなかなかの地獄だよって話だよ。
あーあ、こんな話真面目にしても流されるんだろうなー。わかってるって、反省してるしもうしないよって言って、具体的な対策しないのが目に見えてるからしつこくは言わないけどね。これ以上能動的に傷つきたくねーからな。
次もし似たようなことがあったらその時は縁を切ろう。私もつらくて死ぬかも知んないけど。
K国のはなし
旭日旗を巡る観艦式のうんたらを報道やネットで見かけ、何だか困ってしまった。
私にとっての韓国に関する記憶は日韓ワールドカップの時の色々から始まり、その後慰安婦や竹島独島問題の諸々となっていく。ポジティブなイメージにつながるであろうドラマやアイドルなどには興味がなかったため、揉めている記憶だけが蓄積している。
私は韓国に悪印象を持ちたくない。
日本が朝鮮を統治していた頃のこともきちんと調べていないし、過去から現在に至るまで自分で事実を確かめることのできない情報で『国』という大きなくくりで、また『国民』なんていう何千人もいる個人たちを十把一絡げにレッテル貼りしたくないからだ。私がそれをされたらめっちゃくちゃ嫌だし最高に腹がたつから。
にもかかわらず、じわじわと、またか…嫌だな…という気持ちが染み付いてきてしまっている。
ひとりだけ韓国人の友達がいる。
思い込みが強く好きなことには猪突猛進、興味のないことには冷徹なくらいの無関心。自由気ままにしたいのに、人からどう見えるかをとても気にしてよく悩んでいる。良くも悪くも悪びれず天真爛漫で、自己主張は激しいのに奥ゆかしく見られたいらしい。彼女のことを私は、人懐こくて年の割に幼いと感じており可愛いとも言える性格だが、いつも一緒だと疲れてしまう相手として認識している。
当然日本人にもいるタイプだが、あまりに好き嫌いをハッキリ出す性格の大人は私の周りにはおらず、仲良くなった後で韓国人だと知らされ、お国柄か〜と思ってしまった記憶がある。
そしてそれはネットや報道、書籍などから入ってくる韓国人のイメージの肯定につながってしまっている気がしていて危険に感じる。
そんなわけで、やはり韓国を嫌いになりたくない。マイナスの先入観を持ちたくないのだ。
前述の友人には当然好感を持っているし、私たちは個人の性質でもって向き合っているし、そこに反韓や親韓的な感情は介在していないし彼女も多分私に対してそうだと思う。ただ、自分の生まれて育った国が友人から嫌われていたら悲しくないか?私は愛国者とは言えないと思うが、それでも悲しいはずだ。
たまに韓国の政治の話も聞いてはみるけど、そちらでの反日の実態などは流石に聞きにくい。でも本当のところを知りたいよね…。
グダグダ書いたが、一回韓国に行ってみるのがいいのかなと思えてきた。多分肌で感じられる何かがあると思うんだけど、違うかな。
他人を介した情報は、どうしてもその人の主義主張や資質による判断によってしまうはずだから、鵜呑みにしたくないのだよね。特に差別にもつながる悪印象の情報は。
こういうことで悩んでる人って結構いるのではないかな〜。すごく嫌だものな。
言うとこないから書くだけだけど
一昨年末、猫が病気なのに捕まえられなさすぎて通院できずに毎日泣いて暮らしてた時期、このブログに辛い気持ちを書きなぐっていた。今、その猫は私にひっついてグースカ寝ている。泌尿周りに未だ難ありであるが、数値的には至って健康体。月々5000円のエサを食べ、たまにまたたびをもらって暮らしている。本当に良かった。
ちなみになんとか病気が治って半年後、脱走して野良猫生活をしてしまい病気再発。その頃も深夜の捜索が治安的な意味でつらくてしんどかったが、元野良なおかげか毎日安否確認出来た上に平和的に捕獲できたんで泣き言を書きに来ることはなかった。
今は多分、前よりいろんなことにならさせることができ、付き合いやすくなった気がしてる。猫は難しい生き物だけど、一緒に居られることがとても嬉しい。
んでさ、何が吐き出したかったかっていうと、ペット捨てる人の気持ちがわからなすぎて混乱の極みだったので書きにきたんだよね。やむを得ない事情があることもあると思うが、例え捨てねば自分が生きられないという状況だったとしても、対策の間も無いことってあるのかな。出かけてる間に勝手に捨てられちゃうとかだったら地獄すぎだけど、その場合はそんなことをする人の気持ちがわからなすぎてまた混乱する。生き物ってそんな感じで扱えるものかな。
猫ブームで、犬猫共に捨てられる個体が増えるとか、悪質ブリーダーや引き取り屋とかいう商売の話も、恐ろしくて途方も無い気持ちになる。
言ってもしゃあないんだけどさ、どんな成り立ちでそういう考えに至りその行動を起こすのか、わからなすぎて知りたくなってしまう。知ったところで納得できるわけではないかもだけど、どういう考え方からそうなるのか合点が行く説明を探してしまいますね。わからないことに、自分の価値観によった落とし所を求めるのは、よくない癖だろうなとは思う。不寛容と無理解、独善的な正義感からくる優越感と差別意識につながる傲慢な欲求な気はする。
でも、本当にわからないんだよね。どんな理由があったとしても、自分だけを頼りにして生きている生き物の全てを放り投げる選択をしたら、その後も罪悪感すごくてまともに生活できないと思うんだよ…。しかも、自分だけを頼りにしてる生き物のいうその子の状況を作ったのは自分なんだよ。家族が勝手に拾ってきた…とかでも、その子がその後不幸になる未来しか見えない選択肢を選ぶことは出来ないと思うんだよね。
いや、ほんと言ってもしょうがなすぎるんだけど、なんか怖くてさ。理解出来なさすぎると、何かの拍子にその価値観の存在する世界に触れた時に対処が出来ない気がして。
決意表明覚書
眠いのできちんとかけるかはわからないが、優柔不断で押しに弱い性格の私がもっと効率よく建設的な生活を送れるようになるための決意表明、そのためのメモだ。
自分本位になる。自分勝手でもいい。
母親にはいつも、自己中だ自分勝手だわがままだと言われているし、自分でも自分勝手で協調性がなく他人に対して薄情だと思っている。
しかしこれは自罰的な自己評価と、幼稚で内弁慶的『家族』に対する対応という、極めてプライベートな場面での評価だということにしておいた方がいいと思っている。何故なら、こうやって自分を低く置くことによって、私は他人の評価を誤る場合があるからだ。世の中の大半の人は私より立派=社会に適応しているはずだ、従って私が悪いのかもしれない。こういった傾向の思考に陥ることにより、例えば他人に責められた際、それがたとえ不当であったとしても受け入れてしまい、無用な罪悪感を持たされ、利用されることがあるからだ。
あんま汎用性のある言い方になってないけど、まあいい。今は特定の事象を思い浮かべて書いてるし、何より眠い。
こちらの事情を汲んでくれない人間の事情を汲んでやる必要はない。
他人の心の問題にやたら同情的になりやすいのも問題だ。これは私が相手の心身問わず事情を汲んでやりたいという気持ちが強すぎるからだ。もちろん自分の事情を汲んでほしいという気持ちの裏返しではあるが、他人は必ずしもお返しをしてくれないのだ。
自分の人生の責任を取るのは自分だけ。
これは私の信条としていることだが、忘れてしまう場面が多々あった。っつーか、今話してる理由となってる特定の問題については特に忘れてしまいがち。私の人生のリソースを食い潰す人間が、私の人生の面倒を見てくれるわけがない。従って、相手の人生が例え私由来で一時的に揺らいだとしても知ったこっちゃないの精神でいこう!
どんなに哀れを誘う、罪悪感を煽られる責められ方をしても、気を強く持とう。
私は、私の言動や選択によって相手が不利益を被る、例え不可抗力であったとしても他人の予定を変えさせる羽目になる、それによって精神的物理的な被害を被らせるなど、そういったことが起きた場合にとても下手に出てしまう。その後の賠償要求が不当なものであると感じたとしても、元は私が悪いので…となって、ある程度飲もうとしてしまう。これがいけない。
例え原因が私にあったとしても、償おうとしすぎてはいけない。ダメ絶対。この発想が私を泥沼に引き込むのだから。
私に関わったことを後悔しろ、という発想。
まともであろう、誠実であろう、迷惑をかけたとしたら、その償いをしよう。こういった気持ちに付け入られることはある。相手を見てやらねばならん。私を許してくれる、私に寄り添ってくれる人にだけそうしないといけない。それによって要求がエスカレートする相手もいる。私が悪いからといってそこに付け入られるな。私に関わったお前が不運だったな!って位の気持ちで、知るかボケって言えるようになろう。いや言わなくていいけど、心の中で常に言っていこう。お前の要求は飲まない、思い通りにならない、お前の人生の責任も取らない、何故なら私を選んだお前が悪いのだから!
自分の事情を優先しよう。
相手の気持ちを優先してはならない。いや、基本私の人付き合いにおける物事の判断基準はそれなのだが、最優先しなくてはならないのは本当は自分の事情のはずだ。相手に合わせようとしすぎる人が不快な人もいるってのもまああるんだけど、私のこの判断基準、やっぱり私のことも考えてくれる、譲り合いの精神がある人にしか通用しないわけよ。だめなんだよねこれ〜。
んでさらに何がダメかっていうと、私は私のポリシーを貫きたいばかりに、相手が自分と同じ譲り合いの精神がない人間でも対応を変えないんだよね。これがすげーダメ。バカすぎ。譲らない人間に譲ったら獲られるだろ、しっかりしろよ。
話ずれるけど、この一連の話を母に話したんだよね。そしたら意外な答えが返ってきた。てっきり「あんたは気が弱いし人に嫌われるのがいやだからそんな気弱な対応するんだ、バカめ」的な返答があるかと思いきや、
「そういうとこ私とあんた似てるんだよね。ほら、私いつも『誰にも後ろ指指されないよう、胸張ってられるようにどんな場合でも筋を通すんだ』って言うでしょ」
これには驚いた。ほんとだ、私の母いつもこれで損してる。搾取されてもポリシー守ってる。すごい似てる。びっくり。でもこれはダメ!損しちゃダメ。あと私の方が母より心が弱いから真似しちゃダメ。
自分のために自分の時間を使おう。
例え事情が何であれ、過度に他人のためにリソース割いたらいけない。私はもう若くないのに、時間は有限なのに、他人がごねてるのに付き合って時間や精神力を削られてる場合じゃない。ほんと勿体無い。私の時間は私のためにあるし、そのぶん働いたらしたらどんだけ有益かっつーか仕事がこのせいで押す。これがだいぶクソ。おかしいだろそれ。切り捨てろ!
自分を停滞させる人間と付き合わない。
前向いて進みたい。建設的なことがしたい。楽しいことして、やりたいことやりたい。法に触れてなきゃ、制限される必要はない。他人に制約かけるような人はそれ自体がおかしい。前向きでない約束はするもんじゃない。その人間関係に足引っ張られてるかどうかを意識しないとなって思った。絡みつく人を相手にしないことだ。
憎まれる覚悟、自分に非を作っても断ち切る覚悟。
公平性とかフェアとか忘れよう。知らん。嫌われたり責められたりすることに慣れよう。きっと相手を想いやろうとする(できてるかは知らない)ところが自分の美徳であり、こうあることで私は胸を張れるのだけど、でもそこに価値を見出さない人もいる。そう言う相手にそれやっても無意味だと知れ。ひどい?私が?だから何?って言える人になろう。無責任上等。いやほんとはダメだなって今も思うけど、この人は私に不利益だと思ったら、情とか義理とか忘れても断ち切る覚悟を持たないとこっちが潰れる。
こんなもんかな?重複したことをたくさん書いたけど、自分のためにこれを反芻していこう。息苦しいのはもうやだからね。もっと自由に、元気にいきたい。
本番に弱い
言霊信じてるし、暗示にかかるタイプな気もするのであまり言うべきではないかもしれないが、ぶっちゃけ本番に弱いタイプのような気がする。
高校生の頃、併願で受けた滑り止め的学校に通っていた。当時の担任がぶっちゃけ話で『うちの子達は正直本番に弱いタイプが集まってる』と言ってたらしい。(母から聞いた。彼の名誉のため補足すると、詳細は省くが、私は今でもこの先生を尊敬してるし、誠意があって賢くて大好きだ。)本命の学校に受からなかった子供ばかりが集まっているから、総じて負癖のような性質がついてしまっている傾向があるということらしい。
つまらないプライドからお伝えすると、当時の私としては、高校受験の際かなり特殊な状況にあったため自分の学力等が足らない為本命に落ちてしまった…という意識がなかった。ちなみに今もない。しかし確かにクラスメイトは少しいじけたような感覚を持っていたのを覚えている。初めての大きな勝負事が高校受験という人はきっと多いだろうし、そこで負けたという意識はきっと次(大学受験など)で勝たない限り引きずるような気はした。(私には全く別件でものすごい負癖がついてるものがある。それはまたそのうち書くこともあると思う。)
私は自分の、常に二番手、決して花形ではない的なポジションを昔から意識している。他にも何かしらのプレッシャーに晒されるたび、先述の担任の話を思い出す。歳をとればとるほどメンタルが弱い自覚が出来てきて、その象徴的な出来事として『本番に弱い生徒が通う学校』に所属していたことを思い出すのだろう。
こういえば、担任の言葉が私の人生への呪いになっていると感じる人もいるだろう。事実そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。あんま苦しんでないからそこはわかんない。ただ、そんな話がなかったとしても、私のメンタルが弱いことはもう嫌という程実感してるので暗示とかではないなと思う。
まだまだ悲しい事実を羅列することは出来るが眠くなってきたので端的に言うと、ほんとプレッシャーに弱い小心者な自分に困っている。ただ、これを跳ね除ける方法は知っている。
本番に弱いなら、練習と経験を重ねて、本番に発揮できる力が80%でも100点以上を取るしかないと思っている。これはほんと、メンタル弱くても勝ちに行ける唯一の方法だと感じる。実際今自分が自信を持って勝負に出られることは、積み重ねてきた自信があること、やり直しがきくことばかり思いつくし。
しかし!しかしです!!世の中にはこの方法がどうしても使えない『一発勝負』『出たとこ勝負』ってのがあるんです!どうしてもあるんだ!もう死にたい!!ほんと無理しんどい!!!!
具体的になにかというと、猫の捕獲です…。猫の捕獲…。
度重なる通院、入院で過敏になってるところで捕獲失敗してしまい、もう私に対する不信感でいっぱいなんだよね。それでも家族の中では唯一私だけが近づけるので、1人で捕獲しないといけないんだよね。このまま捕獲出来ないと死ぬんだよ、多分。
でも次捕まえ損ねたら、それこそもう絶対に捕まえられないって状況なんです。私たちが猫初心者なことも大いにあるし、猫はなんやかんやでオスの野良として3年生き抜いてきた猛者だから、戦闘が長引くと毎回猫のポテンシャルの高さに押し負けてしまう。信頼のない猫を捕まえることが本当に困難なのです。話しているだけでも心臓がバクバクしてきたよ。
どうしても猫に生きていて欲しいからやるしかないのに、プレッシャーに弱すぎてどうしても手際が悪い自分に、情けない通り越してもう虚無がちらつく。放心してもしょうがないから心奮い立たせるも、実際やるとなるとどんどん不安になる。
ここにこの気持ちを書いているのは、気持ちの整理が少しでもできたらと思ったからです。泣き言を言って、誰かに代わってもらいたいわけでもない。逃げたいわけでもないんです。ただ、どうしても猫を捕まえたい。ほんとに、元気になって欲しいから。
いっそこのまま死んでくれたら悩まずに済むのにという考えがちらつくほど、この状況が辛いです。でも死んで欲しくないです。沢山の余計な考えが頭をよぎって不安が募ります。余計なことを考えていることが無駄だ、バカだ、とにかく捕まえるしかないんだという向きもあると思いますし、実際今ここに書いているような事を周りに漏らしてもそう言われると思います。理解できるよ、その通りだって。でも不安と動揺を止めることができない。
つらつら書いているうちに自分の気持ちが整理されてきて、辛さが溢れてきて涙がたくさん出る、そうして落ち着く。今日はそんな感じで日記を書きました。
気持ちの整理がしたかったんです。
猫に生きて欲しいから、ほんとに。でも私はメンタル弱くてプレッシャーに耐えられないし自分が辛いのが1番しんどいから。正直に言う、猫の命と自分のしんどさだったら後者が勝つくらいのしょうもなさ持ってる。最低。本当に最低。でも猫生きて欲しい。あんなに可愛い猫、生きて欲しい。助かったら、私に懐かなくてもいいから、とにかく生きて欲しい…。
しょうもない、勝負に弱い自分に諦めを持つことで気持ちを和らげ、緊張なるたけしないで、猫、捕まえたいと思います。
しんどいし仮眠するわ。